森脇監督と伝説の投手の感動エピソード。その感動は大瀬良が引き継ぐ。 [日記]
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こんにちは。ぼくおくんです。
2014年のプロ野球も交流戦で熱戦が繰り広げられていますね。
今日からぼくおくんの応援する「広島カープ」はパリーグ首位をひた走る「オリックス」と対戦します。
現在絶好調の「オリックス」を指揮するのは、森脇浩司監督。
この森脇監督、超男前で「球界の草刈正雄」と言われっちゃったりしています。
画像はhttp://www.47news.jp/CN/201210/CN2012100701001645.htmlより引用
みなさんはご存じないかも知れませんが、森脇監督は現役時代、カープでもプレーしたことがあるんですよ。
さて、そのオリックス戦は今日、エースの前田健太投手で必勝を期すわけなんですが
2戦目の明日先発が予想されているのがルーキーの大瀬良大地投手。
昨日の練習で球場を訪れた森脇監督が大瀬良投手の背中を見て
「雰囲気、姿、投げる球、すべてがある人物と重なる…」と言ったそうなんです。
そのある人物とは誰かというと・・・
カープでは今や伝説のピッチャー
「炎のストッパー 津田恒実投手」なんです。
画像はhttp://www1.ttcn.ne.jp/takarp/carp/colum/tsuda.htmlより引用
しかも、背番号も津田投手と大瀬良投手は同じ「14」。 なにか運命的なものも感じると森脇監督はいうそうです。
津田投手をあまりご存じない方のためのもお話しておいた方がいいかもしれませんね。
伝説の男。津田恒実投手。
「弱気は最大の敵」といつも自分に言い聞かせマウンドに上がると
常に真っ向勝負。その姿勢を崩さない彼の投球はいつも炎につつまれていました。
誰が名付けたのか彼に与えられた称号は「炎のストッパー」。
そんな真っ向勝負、ストレート一本勝負のスタイルは少年時代のぼくおくんにとって
「ヒーロー」そのものでした。
打者の中でも「どの投手と対戦したいか」の問いに津田投手の名を挙げる選手も多かったと思います。
こんなエピソードがあります。
津田投手がかねてから対戦を熱望していた原辰徳選手(現巨人監督)と対戦した時の話です。
いつも全力投球の津田投手の投じたストレートをファールした原選手が突然顔をゆがめてその場に倒れてしまったのです。
診断結果は「左手有鉤骨をの骨折」。結局そのシーズンの残り試合全てを原選手は棒に振ることになるのです。
後になり原選手は対戦をこう振り返ります。「あの時の津田との勝負に悔いはない」と。
そんな男の中の男、津田投手は今はこの世にいません。
選手として油の乗っている31歳のときに、「脳腫瘍」で球界を去ることに。
最後まで「あのマウンドに戻りたい」という思いを持って闘病を続けていたのですが
その思いも虚しく、1993年7月20日、32歳の若さでこの世を去りました。
最後までマウンドに戻れず、本当の伝説の投手になってしまいました。
投じる投球の90%以上がストレート、「弱気は最大の敵」と言い続けた男の生きざまは語り草になっています。
津田投手と森脇監督(当時選手以下同じ)はカープ時代無二の親友だったと聞いています。
森脇選手がダイエー(現ソフトバンク)に移籍が決まった際
津田投手が夫人に「お前か浩司のどっちかをとれって言われたら、オレは浩司をとる」と言って
夫人を呆れさせたほど。
津田投手が病に倒れ、カープを対談したあとも見舞いにしょっちゅう訪れ津田投手を勇気づけていたそうです。
こんなエピソードを聞きました。
病床の津田投手に対し森脇選手は
「オレの年俸を半額にしてでも、お前を現役復帰させられるように球団(福岡ダイエーホークス)に掛け合ってやる」と伝え
ある日、実際にダイエー球団に対し
「今、病気で必死に戦っている津田が野球を出来るようになった時に ダイエーで使ってやって欲しい。その時は俺の年俸の半分要らないからを津田にあげて欲しい」と伝えました。
その必死さにダイエー球団も「わかった…」と首を縦に振るしかなかったそうです。
森脇選手も津田投手に「生きる希望」を捨てないでほしかったんでしょうね。
復帰する!って夢を共有したかったんだと思います。
このエピソードを聞いて、果たしてぼくおくんが同じ立場でどういう行動に出るのだろうかと
しばし考えてしまいました。
そして、津田投手亡き後、一人息子の、津田の一人息子の大毅は、森脇らの計らいにより福岡ドームのマウンドに始球式で立つことになりました。 津田がマウンドに再び立つ事はなかったが病床で交わした約束は津田投手の死後実現することになったのです。
そして今日、カープはその森脇監督率いるオリックスと対戦します。
森脇監督が津田投手の雰囲気そのものと評した「大瀬良大地」投手。 ぼくおくんも大瀬良投手の投球を見て、あの気迫は共通するものがあるなぁと思いました。
津田投手が病に倒れ球界を去った1991年生まれの彼は、津田投手の投球スタイルを知らないと思います。
ですが、背番号「14」が魂を引き継ぎます。
森脇監督の前で格好の悪いピッチングはできません。
最高のマウンドを見せることができれば、津田投手もきっと喜んでくれるはず。
注目のマウンドは明日。
頑張れ!大瀬良大地!
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こんにちは。ぼくおくんです。
2014年のプロ野球も交流戦で熱戦が繰り広げられていますね。
今日からぼくおくんの応援する「広島カープ」はパリーグ首位をひた走る「オリックス」と対戦します。
現在絶好調の「オリックス」を指揮するのは、森脇浩司監督。
この森脇監督、超男前で「球界の草刈正雄」と言われっちゃったりしています。
画像はhttp://www.47news.jp/CN/201210/CN2012100701001645.htmlより引用
みなさんはご存じないかも知れませんが、森脇監督は現役時代、カープでもプレーしたことがあるんですよ。
さて、そのオリックス戦は今日、エースの前田健太投手で必勝を期すわけなんですが
2戦目の明日先発が予想されているのがルーキーの大瀬良大地投手。
昨日の練習で球場を訪れた森脇監督が大瀬良投手の背中を見て
「雰囲気、姿、投げる球、すべてがある人物と重なる…」と言ったそうなんです。
そのある人物とは誰かというと・・・
カープでは今や伝説のピッチャー
「炎のストッパー 津田恒実投手」なんです。
画像はhttp://www1.ttcn.ne.jp/takarp/carp/colum/tsuda.htmlより引用
しかも、背番号も津田投手と大瀬良投手は同じ「14」。 なにか運命的なものも感じると森脇監督はいうそうです。
津田投手をあまりご存じない方のためのもお話しておいた方がいいかもしれませんね。
★津田恒実投手とは
伝説の男。津田恒実投手。
「弱気は最大の敵」といつも自分に言い聞かせマウンドに上がると
常に真っ向勝負。その姿勢を崩さない彼の投球はいつも炎につつまれていました。
誰が名付けたのか彼に与えられた称号は「炎のストッパー」。
そんな真っ向勝負、ストレート一本勝負のスタイルは少年時代のぼくおくんにとって
「ヒーロー」そのものでした。
打者の中でも「どの投手と対戦したいか」の問いに津田投手の名を挙げる選手も多かったと思います。
こんなエピソードがあります。
津田投手がかねてから対戦を熱望していた原辰徳選手(現巨人監督)と対戦した時の話です。
いつも全力投球の津田投手の投じたストレートをファールした原選手が突然顔をゆがめてその場に倒れてしまったのです。
診断結果は「左手有鉤骨をの骨折」。結局そのシーズンの残り試合全てを原選手は棒に振ることになるのです。
後になり原選手は対戦をこう振り返ります。「あの時の津田との勝負に悔いはない」と。
そんな男の中の男、津田投手は今はこの世にいません。
選手として油の乗っている31歳のときに、「脳腫瘍」で球界を去ることに。
最後まで「あのマウンドに戻りたい」という思いを持って闘病を続けていたのですが
その思いも虚しく、1993年7月20日、32歳の若さでこの世を去りました。
最後までマウンドに戻れず、本当の伝説の投手になってしまいました。
投じる投球の90%以上がストレート、「弱気は最大の敵」と言い続けた男の生きざまは語り草になっています。
★森脇監督とのエピソードがまたいい話
津田投手と森脇監督(当時選手以下同じ)はカープ時代無二の親友だったと聞いています。
森脇選手がダイエー(現ソフトバンク)に移籍が決まった際
津田投手が夫人に「お前か浩司のどっちかをとれって言われたら、オレは浩司をとる」と言って
夫人を呆れさせたほど。
津田投手が病に倒れ、カープを対談したあとも見舞いにしょっちゅう訪れ津田投手を勇気づけていたそうです。
こんなエピソードを聞きました。
病床の津田投手に対し森脇選手は
「オレの年俸を半額にしてでも、お前を現役復帰させられるように球団(福岡ダイエーホークス)に掛け合ってやる」と伝え
ある日、実際にダイエー球団に対し
「今、病気で必死に戦っている津田が野球を出来るようになった時に ダイエーで使ってやって欲しい。その時は俺の年俸の半分要らないからを津田にあげて欲しい」と伝えました。
その必死さにダイエー球団も「わかった…」と首を縦に振るしかなかったそうです。
森脇選手も津田投手に「生きる希望」を捨てないでほしかったんでしょうね。
復帰する!って夢を共有したかったんだと思います。
このエピソードを聞いて、果たしてぼくおくんが同じ立場でどういう行動に出るのだろうかと
しばし考えてしまいました。
そして、津田投手亡き後、一人息子の、津田の一人息子の大毅は、森脇らの計らいにより福岡ドームのマウンドに始球式で立つことになりました。 津田がマウンドに再び立つ事はなかったが病床で交わした約束は津田投手の死後実現することになったのです。
そして今日、カープはその森脇監督率いるオリックスと対戦します。
★伝説の「14」から新たな希望を
森脇監督が津田投手の雰囲気そのものと評した「大瀬良大地」投手。 ぼくおくんも大瀬良投手の投球を見て、あの気迫は共通するものがあるなぁと思いました。
津田投手が病に倒れ球界を去った1991年生まれの彼は、津田投手の投球スタイルを知らないと思います。
ですが、背番号「14」が魂を引き継ぎます。
森脇監督の前で格好の悪いピッチングはできません。
最高のマウンドを見せることができれば、津田投手もきっと喜んでくれるはず。
注目のマウンドは明日。
頑張れ!大瀬良大地!
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